本のご紹介
女であることを病んでいた時に手に取った一冊。
キレイごとを言わず、読者に寄り添った言い方が心地いい。ユーモアのある言い回しで、さくっと読める一冊です。
努力は、痛気持ちいいぐらいまでにしておく
たとえ自分の見た目が気に入らなくても、ないがしろにせずに心の声に耳を傾け、面倒を見てあげよう。
鏡を見て120%満足したり、人前で自信が持てるようにならなくても、自分を大切にすることはできる。
「あと3キロ痩せたらキレイになって生まれ変われる」
「あの服を着こなせるようになったら人生変わる」
そう言って今の自分を認められない女性は多いんじゃないだろうか?
ご多分に漏れず、私もそのとおりで「今の自分は本来の自分じゃない」「このままで終わるはずがない」みたいなことを思いながら、生きてる気がする。
でも、自分の親がそんなこと思うかしら?どんな姿になっても変わらず愛情を注ぐんじゃないか?
そんな愛情を自分に向けてあげてもいいよ、キレイになる努力は痛くない、痛気持ちいいぐらいで留めておくのが良いよ、と教えてくれている一節。
コンプレックスは個性の種、スタイルのフラグである
もし、あなたを苛めるコンプレックスがあるのなら、まずは心ときめく少しでもましなワードに言い換えてほしい。
意地悪にピントを合わせず、よきイリュージョンに包まれて暮らそう。
今でこそコンプレックスを個性だと思えるようになってきたが、特に20代前半はコンプレックスの塊だった。
「笑った時、小鼻が大きいのが嫌」「エラが張っていて顔が大きいのが嫌」
探し始めたらキリがない。
でも、人が「美しい」と感じる基準って曖昧なもので、時代によってかわってるよね?
少し前欧米ではすきっ歯が流行ったし、韓国で一重が流行っていたりする。
そんな曖昧で自分勝手な基準に振り回されず、「これが自分の個性」と堂々と言えるようになった時、その人の魅力って爆発するんじゃないか?
私はまだそんな境地には至ってないが、コンプレックスを許容できる未来に期待したい。
本当にあった、写真に写らない美しさの話
鏡の中の自分がパッとしないとき、写真に写った自分が期待はずれだったときは、鏡も写真も信じなくてオッケーだと思う。
ましてや、電車の窓をや。
これ分かるわ〜(笑)
会社からの帰り道、電車の窓に写った疲れきった自分を見て、何度目を背けたことか。。
あと友達との自撮りね?あれカメラ持ってる自分の方が絶対ブサイクじゃない?(笑)
静止している人間じゃなく、空気をまとって動いている人間の方が魅力的じゃないか。
写真に写らない美しさがあると思うと、鏡や写真に恐怖を感じなくなる。
嫉妬はチャンス。自分を磨く鏡として活用する
比べる気持ちや嫉妬を感じたら、心がザワつく対象を鏡に、自分を研究する。
悪感情を自分を磨くチャンスにする。これに尽きる。
嫉妬心はどうしても出てきてしまうもの。
私だって100%天然美人に遭遇したら「あの顔で産まれてきたら人生イージーモードだっただろうな。。」とザワザワする。
それを「外見じゃないよ、内面だよ?」「人と比べても無駄だよ?」と言われたって無理。正直無理。
そうじゃなくて「あ〜私嫉妬してるな〜」と認めた上で、その感情を分析すると良い。
例えば、ナイトプールで楽しそうに笑うギャルをInstagramで見かけた時、ザワザワしたら??
その「ざわ・・」に目を向けてみる→嫉妬だと理解する→嫉妬の矛先がビキニを着れるスタイルの良さだと認識できたら、それが自分を磨くチャンスになる。
嫉妬の矛先を理解しようとしないまま、相手に悪意を向けるようじゃあ、女が廃りますな。
死ぬほど好き♡でも自尊心は委ねるな
自分の大切さや、かけがえのなさの根拠を、他人に求めてはいけない。
自分が大切な存在かどうか、相手の出方次第で決めるのはやめよう。
著者が海外の人気俳優に「女性にないと魅力的に感じないことは?」とインタビューした時の回答が「自尊心」だったらしい。
他人に迎合せず(それがたとえ愛する人であったとしても)自分を尊重し続けることって結構難しかったりする。
私も少し前、彼がいた時、今のありのままの自分でいれたか?と聞かれると疑問。
少なからず、「女性らしくタイトスカートを着よう」だの「髪の毛は伸ばしたほうが喜ぶかな」だの完全に自分を曲げていた。
今となっては、それが相手の負荷にもなりうるし、自分を尊重していないとも分かる。
自分の魅力は相手に委ねてはいけない。そんなつまらない女にはなりたくない。
イケてる!という感覚は世界を速攻で変える
長らく美容はコンプレックス産業とされてきた、けれどこれからは多様な美を発見して謳歌し、コンプレックスイケてるね産業、それコンプレックスじゃなくね?産業に切り替わる時代だ。
美容業界に多様性が広まりつつあるのは、いち消費者としても実感している。
ファンデーションのカラバリが増えたり、ふくよかな女性の美しさが認められたり。
本の中ではリアーナ vs ビクシーの構図で説明されている。
ビクシー(ビクトリアズ・シークレット)は少し前までモデルの登竜門とされ、世間離れしたバービー体型のモデルに憧れる女性も少なくなかった。
一方リアーナのランジェリーブランド「サヴェージ×フェンティ」というブランド。コンセプトは多様性で肌の色や体型も様々。
同じ時期に開催された両者のショーは明暗をわけ、リアーナのショーはイケてる!と賞賛を浴びた。
時代がもう、一辺倒な美しさを拒否しているのかもしれない。
平均年齢45.9歳の国で年齢を恥じると詰む
世界的に見てもぶっちぎりの高齢社会にありながら、「年をとれば価値が減る」と、年齢をまるで建物の築年数のように捉える価値観は、誰のことも幸せにしない。
平均年齢45.9さい、平均寿命84.2さいの我が国ニッポン。
30歳になったら「もう若くないし〜」と謙遜しておばさん認定したら、この先長い時間いたたまれない気持ちになってしまう。
若さがものをいう事実は変わらないかもしれない。就職だって、婚活だって、ナンダカンダで若いほうが有利。
ただ、自分だけは歳をとっていくことを喜びに変えられるよう、意識したいものですね。
女って捨てられるの?恋愛=現役という焦り商法
こちとら女の体に生まれたら、ほっといても死ぬまで生物学的には女。以上と宣言したい。
男が歳をとって「男捨ててきたね〜」とは言われないのに、女は歳をとってアンチエイジングを怠ったりすると「女捨ててるね〜」と言われる。
私たちはいつも、「女であるべき商法」に攻め立てられている気がする。
美容やアンチエイジングを怠ったら女じゃなくなる?
男の好む女性像や性愛の対象にならなくなったら、女じゃなくなる?
そんな客観的なことで、自分の性物決めてほしくないよね。生まれてから死ぬまで私は女です!と潔く言いたい。
まとめ
「美容は自尊心の筋トレ」とタイトルのとおり、美容は誰かの為にがんばるものじゃない。自分の自尊心を育てるためのものだ。
そう考えると、いやいやルーチン化している美容習慣をやめたり、他人の目を気にして挑戦できなかったメイクに挑戦できたりしないだろうか?
みんな違ってみんないい。
迎合なんてしなくていい。自分の為に美容をたのしめばいい。
女でいることが辛い時、心を軽くしてくれるような良い本でした。興味があれば是非手に取ってみてください!